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名古屋高等裁判所 昭和59年(ネ)736号 判決

控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 宮島栄祐

被控訴人 乙山花子

右訴訟代理人弁護士 川島和男

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上法律上の主張並びに証拠関係は、左に付加するほかは原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

当審における証拠関係は当審記録中の証拠目録記載のとおりである。

理由

一  請求の原因1の事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると同2の事実が認められ、同3の事実は弁論の全趣旨により明らかである。

二  そこで控訴人の抗弁について検討する。

1  《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  控訴人は昭和四一年一二月二〇日妻春子と婚姻し、その間に一郎(昭和四二年九月一三日生)と夏子(同四五年一一月二一日生)をもうけ、岐阜県大垣市《番地省略》に本店を有し、土木建築等を業とする株式会社甲山組に常務取締役として勤務しその経営に関与していた。

(二)  被控訴人は昭和五〇年一二月一六日乙山松夫と婚姻し、その間に同五二年九月三〇日長男竹夫をもうけたが、同五三年九月一二日右竹夫の親権者を被控訴人と定めて乙山松夫と協議離婚した。しかし被控訴人は、昭和五四年四月に岐阜市《番地省略》に引越すまでは、離婚した乙山松夫と岐阜県関市の家に同居していた。そして被控訴人は、乙山松夫と離婚する前の昭和五三年三月ころからクラブ「M」に、また同年一〇月ころからクラブ「H」にホステスとして勤務していた。

(三)  そして昭和五四年二月ころ、被控訴人は、クラブ「H」に客として出入りしていた控訴人と知り合い、同月末ころ、男女関係ができるようになった。被控訴人は控訴人から控訴人が株式会社甲山組を経営していること、控訴人に妻子がいることを知らされたが、両者の関係はその後も続いた。

(四)  その後被控訴人は、昭和五四年四月ころ、クラブ「H」より収入の多いクラブ「G」に移り、そのころ控訴人に借りてもらった前記住所地に引越したが、その敷金や家具代も負担してもらい、また、控訴人から、乗用車を買ってもらったり、一ヵ月金一五万円を手当てとしてもらうようになって、控訴人の愛人となった。そして同年五月ころから一〇月ころまで、被控訴人はクラブ「W」にホステスとして勤務していたが、夜おそく帰宅することを控訴人が嫌うようになってやめざるを得なくなり、その後は、控訴人から一ヵ月金三〇万円の手当をもらういわゆる二号の生活をするようになってしまった。

(五)  右のように、被控訴人は控訴人から昭和五六年一月ころまで一ヵ月金三〇万円をもらっていわゆる二号の生活をしていたが、被控訴人はそのような生活に不満をもつようになり、そのころからスナックバーの「T」の雇われママとして嫁働するようになった。一方控訴人が経営に関与していた株式会社甲山組の経営状態がそのころから次第に悪化し、控訴人は同年三月ころ同社をやめ、同社の債務を整理するために自己の財産を処分しなければならなくなった。そして同年四月ころ、被控訴人からの申入れで控訴人としては未練はあったけれども控訴人と被控訴人の関係は解消された。

なお同年四月一〇日ころ控訴人は被控訴人に対し生活費等として金五〇万円を交付した。

(六)  その後同年六月ころ、控訴人はゴルフ用品店を開業するようになったが、そのころ、被控訴人が丙川某の世話でスナックバーを開業するといううわさを聞くようになった。控訴人は被控訴人に未練があったので、再び被控訴人に接近するようになり、よりを戻してほしい旨を申入れた。これに対して被控訴人は、結婚してくれるならばよいが従来のような関係ならばいやだと言ったところ、控訴人も一たんはこれを了承し、同年七月ころ、再び両者の間に男女関係が生ずるようになった。しかし控訴人は、被控訴人が丙川某の援助でスナックバーを開業しようとしていることを不満として同月下旬ころか同年八月上旬ころ同人に抗議したところ、同人は手を引いてしまったので被控訴人はその資金八〇〇万円の出所がなくなってしまった。ところで、そのころには、新規開店の計画は設計図もできており、工事の請負業者もきまっていて、相当具体化している段階にあったので、被控訴人は控訴人に対して、控訴人において右資金の工面をしてくれるよう要求した。控訴人は、やむなく、右資金を捻出するために国民金融公庫から内金五〇〇万円を借受け、その返済は控訴人においてする旨を受け合ったので被控訴人は一たんは納得し、同年八月ころ、控訴人は、被控訴人の友人の丁村秋子を保証人とし、自己の名で同金庫岐阜支店に融資申請をしたが、右丁村が保証人になることを承諾しなかったため、結局、右融資申請は拒絶されてしまった。しかし控訴人は被控訴人に対し、被控訴人において自ら同公庫から融資を受けるならば、控訴人が責任をもって返済する旨を申入れたので、被控訴人は同月三〇日、客の戊田梅夫を保証人として、自己名義で合計金五〇〇万円の借受けを同公庫岐阜支店に申込んだ。

一方、控訴人に被控訴人という愛人がいることを控訴人の妻春子が昭和五六年八月ころ知るようになり、同女はそのショックで同月二九日くも膜下出血の発作で倒れ、同年九月三日に大垣市民病院に入院した。そのため、右春子の看病や子供の世話をすべて控訴人がしなければならなくなり、そのころから被控訴人との男女関係も途絶えるようになった。

(七)  被控訴人は前記のように国民金融公庫岐阜支店に金五〇〇万円の借受けを申込んだが、右借金の返済のあてはなかったので控訴人に対してその返済の責任を負ってくれるかどうかを執拗にただしていた。これに対して控訴人は同年九月はじめころ「店舗の工事に着手してもよい。同公庫の借金は自分が返済する」旨再度受け合ったので、同月四日ころ被控訴人は、控訴人の紹介してくれた請負業者に依頼して右の工事に着手した。それでもなお、被控訴人は控訴人の態度を不安として、同月一六日控訴人を呼び出し、控訴人と岐阜市内の喫茶店で会い、控訴人に対し同公庫に対する借受金は控訴人において返済する旨の書面を作成してくれるよう求め、被控訴人はその旨の書面を作成した。

(八)  被控訴人は昭和五六年九月二八日同公庫岐阜支店から合計金五〇〇万円を借受け、これで工事費等を支払った。そして同年一一月から現在まで、被控訴人の経営するバーの収益で同公庫に対し毎月の払込金を支払っている。なお、控訴人は同年一〇月ころ被控訴人に対し、右払込金を負担する意思のないことを明確にし、そのころには、両者は完全に別れた。

以上の事実が認められ原審並びに当審における控訴、被控訴各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しがたく、ほかに右認定を左右するに足る証拠はない。

2  右の認定事実によれば本件契約は、昭和五六年七、八月ころ、被控訴人と控訴人の男女関係がよりをもどしていたころ、控訴人のした妨害行為のために、被控訴人が丙川某の援助でバーを開業しようとしていたことが頓挫したため、被控訴人からその責任を追求された控訴人が被控訴人のために国民金融公庫岐阜支店に融資を申込んだが、これを断わられたため、被控訴人自らが同公庫から融資を受け、同公庫に対する毎月の払込金相当額を控訴人において被控訴人に支払うことを目的として成立した契約であるということができる。

右の認定事実によると、本件契約が成立した当時は、既に、両者間の男女関係は途絶しており、また、本件契約は、控訴人において被控訴人がバーを開業しようとしたことを妨害したことによる被控訴人の損失を補償するという面があることは否定できないけれども、右妨害行為それ自体は、控訴人と被控訴人との男女関係が継続されていた当時、右不倫な関係を前提とし、そこより発生したものとみるべきであって、そうすると右妨害の責任をとり、被控訴人の開店準備資金を被控訴人のために負担しようとする本件契約の締結は、所詮は、両者間に存した従前の男女関係の延長上にあるものというべく、したがって、この点において、本件契約は右の不倫関係を、依然、滞有しているものと認めざるをえないのである。

右によれば、本件契約は公序良俗に反するものとして無効であると認めるのが相当である。

三  以上の次第であるから、被控訴人の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから失当として棄却すべきところ、これと結論を異にする原判決を取消すこととし、民事訴訟法八九条、九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 可知鴻平 裁判官 高橋爽一郎 宗哲朗)

〈以下省略〉

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